おせち大好き.


あっという間に七草,鏡開きを過ぎて,
明日は小正月.


毎年1月15日の朝は小豆がゆを食べて,松飾りをはずしますが,今年のおせちを夫婦で反芻するのも
毎年この時期なのですよ. 飽くなき食いしん坊家族! こういうことに時間と労力を惜しまない… .
まぁ,記憶の新しい内にという… 最近少し自信がないので.

結婚してからだから,まだキャリア数年. それでも1年1年,家人の手際の進化には驚かされます.
こう書くと手前味噌ですが,そうではなくて妻は必ずしも要領がいいわけではなく,また「小さい頃から料理作ってます」
という人ではなかったというところに筆を取ろうと思った理由があります.
つまり,おせちは資質でなく,誰にでも作れるということです.
それに明らかに,家で作る方が美味しい!
元旦の日,小生が家から動かなくなったのは,これをじっくり家で楽しむと非常に年始が静かに,
朗らかに明けるという実感があったからでした.
おせちと餅を食べてるだけの元旦ですが,文字通り「穏やか」なのです.

最初の年こそ,様々な家の事で大変な大晦日でしたが,元来少々の天然が
入っている妻は見様見まねで何となくやっちゃう… . どのくらい天然かと言えば,
専門学校時代に露出計のHighキーとLowキーを知らないまま,16m/mで2カメの
撮影プランを立てて撮影,その後作品をきちんと完成させたと言えば,
その道の人ならばその天然ぶりがわかるでしょう.

いろいろ失敗を重ねながら,参考にした本の行間を推理しつつ
「美味しくなぁれ,美味しくなぁれ」と念仏を唱えてきたわけです.

妻を見ていて,その続けていくコツを小生なりに申し上げるならば,
まず家族全員で「おせちを食べよう! おーっ!」と盛り上がること.
お祭りにしちゃうんです,雰囲気を… .
しかしこれは外野の役目.
シェフの頑張りが孤立しない空気を家全体で作ります.
例えば,暮れにおせちの買出しは毎年のイベントにして,家族全員で行くとかね.
両手にズシリとくる食材の重みが,全て美味しいものに変わるのだと
思うとワクワクしてしまう. クリエイティブだなぁと思う… 食いしん坊だからかな?

それから失敗したものがあって品目が減ってもクヨクヨしないこと. 時間的に間にあわない場合も同様で,
とにかく「次,次」と走ることが肝要のようです. これは性格もあると思うから,自分で越えられない場合は
パートナーがその部分をフォローしましょう.
それとこれは私見になりますが,二人船頭をしないことです.
よく共同作業で夫婦の美談的に装う方もいらっしゃいますが,15屋では妻が 100% 作っています.
小生の仕事は,買出しをいっしょにする,重たいものを持つ,固いフタをあける,子どもといっしょに外へ出る等々です.
そしてその際に重要なのは軽やかにそれに応じること. だって作ってないんですから,それくらいしなければ
家人が切れます… しょうがないですよね.

でもこれって重要だと思います. つまり俄かに手を出すのではなく,指令系統のトップに妻がいるということを
お互いに自覚することで,短時間に物ごとを動かすとともに,達成した後の満足感も妻がひとり占めということが重要なのですね.

三が日はこれを食べればよいという安心感と,食事の仕度の軽減から来る安堵.
それほどに毎日の食事を用意する,献立を考えるということは重労働なのだという意識を家族が持てれば,
年にたった一度のことですから,みんなで頑張れると思いますよ.
それにおせちのひとつひとつの献立には,きちんと意味があって,それは家族の健康と幸せを願うことの
一点に集約しています. この美意識こそが唯一無比の価値だとすれば,今世間で賑わっている悲惨な出来事の根本には,
おせちを振舞わなくなったことも関連しているのではないでしょうか.

物ごとを複雑にせず,ただ「おせちを食べる」だけ. 丁寧な手仕事で作られたおせちは美味しいですよ!
あんなに美味しいものを外で買うなんて,もったいない. 結婚している人はもちろん家族で.
結婚していない人は,両親やお友達と.

気のおけない人たちと過ごす年末年始とそれを演出する「おせち」.
いやぁ 日本の正月だねぇなんてことを言いながら… ,今年の暮れのお勧めは「おせち」ですよ!
ちょっと気が早すぎ… ,時代を先取りということで.

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