ショーン・コネリー主演
原題 「The Russia House」
邦題 「 ロシア・ハウス 」
1991.5 日本公開 アメリカ / 123min カラー / シネスコ
ガキにはわかるまい… ,そう言われたように感じました.
酸いも甘いも噛み分けた大人にあるラブーストーリーとは,またかくも深く,やさしさに満ちたものなのか… .
巷に溢れるドロドロな大人向けドラマへの処方箋とも言っていい,正統派だと小生は思います.
近頃,「チョイワル」などという言葉に惑わされている親父どもは座して見るべし!
まぁ,「真珠夫人」もジローラモさんも,それはそれで好きだけど… .
原作やそのタイトルのイメージから,サスペンスやスパイものと思われがちですが,確かにそういう面はあるものの,
これは大ラブストーリーです.
ロシアやリスボンなど,当時も今もなかなか画面で見る機会の少ない美しい風景と老練ジェリー・ゴールドスミスの
切ないテーマ音楽. それと主演2人の本当に素晴らしい芝居にしばし酔いしれます.
この作品に関して15屋では,小生はS・コネリーに,家人はM・ファイファーに感情移入しながら見ていますね.
冒頭のM・ファイファー演じるカーチャが,広場を縦に歩いてくるフカンの引き絵を見て,「何かを決意している女の顔だわ」と言えば,
S・コネリー演じるバーリーがスライド写真で初めてカーチャを見た表情に,「運命を信じた男の顔だ 」と小生が切り返すという具合.
カーチャという女性は,非常に危険なイデオロギーの末端に生きていて,しかもそれを自覚し,そしてかつて愛した人もそこにいました. しかし私生活では,二人のお子さんがいて伯父と4人で暮らす,いたって普通のシングル・マザーです.
これほどの背景を持つ異国の女性を愛してしまった時に,あなたはどのような行動をとれるでしょうか?
この二人の心の動きを遠くから拝見させてもらい,小生の感じたものは,人の心のはかり知れない複雑さと,
愛とは如何にシンプルなものかという矛盾の同居でした. この矛盾こそが人であり,人生なのだと,オコチャマ日本人たる
小生には非常に高尚な禅問答のようです.
しかもバーリーは最後まで,「愛している」とか「好きだ」の類の言葉を全く吐かないんです.
その先の先を見て,最愛の人を守ろうとうする無償の愛をただただ小生は目で追うばかり. しかし確実に二人の心は,音もなく,
少しずつ寄り添っていくのがわかるし,それを大人の分別が否定しようとする葛藤も伝わってくるのです.
今の日本映画に徹底して欠落しているのは,おそらくこの部分なのかなと思ったりしています.
人は心と体を別々に機能させることができます. つまり顔では笑い,心では泣き… ,あるいは顔では落胆しつつ,
心では舌を出すという具合です. この多面性が人間の奥深さであり,また悲しみや寂しさを本当に知っている人ほど,
この使い分けが巧みで,わからないものですよ. その矛盾の同居を,人は潜在的に理解していて,
そこに己の心を重ね合わせた時に感動し,心に響くのではないでしょうか. 追体験ですね.
家人から聞いた話ですが,チェーホフが居酒屋で仲間と飲んでいた時に,ちょうど隣に,ある一人のひょうきんな人物が
盛り上げて楽しそうなテーブルがありました. 仲間の一人がチェーホフに,「 楽しそうな奴だな 」と言うと,
「 何を言ってる.彼は明日自ら命を絶つかもしれないほど苦しんでいるぞ」と戒めたということです.
そして実際にそのひょうきんな人物は,チェーホフの言った通りになったそうです… .
人とは本当にはかり知れないほどに強さと脆さが同居していることを,弱輩ですが,小生もここ5年ほどのところで
感じてきたところです. 今という時は永遠ではない. 一期一会とはどういうことなのか.
そうしたところを越えて,生きること自体に価値を見出し,また人は決してひとりでは生きてはいけないものなのだと
感じるようになりました.
結婚という法的手段にこだわる必要はありませんが,関係性の中でしか人は自分を存在たらしめないのだとすれば,
その伴侶が最愛の人の方がいいに決まっていますよね.
今,日本では婚期が遅く,またその気もない人や別のことに価値を代替している人々などもいるようですが,
この映画を見ると,人の体温っていいよなと思わせてくれます.
何かに依存している間はなかなか縁に恵まれませんが,そこに気づきと少々の勇気があれば,それは必ず巡ってくるのだと… ,
そしてそれに確信を感じた時は,掴んだら絶対離してはいけないのだと,そうこの映画は教えてくれている気がします.
最後に,全てを越えて小走りに桟橋へ急ぐバーリーの背中を見て,あなたはきっと誰かに会いたくなるでしょう.
・元副会長のCinema Days
やはり大人ですよね! 嬉しい感想です.
トラックバック、どうもサンキューでした。
フレッド・スケピシ監督の作品は全部観たわけではないのですが、何となく“お手軽コメディの作り手”といった感じの認識しか持っておりませんでした。でも、本作は思いがけずアダルトな魅力に溢れていて、瞠目させられます。
チェーホフは岩波文庫の「可愛い女(ひと)・犬を連れた奥さん」しか読んだことはありませんが、鋭い人間観察に慄然とする思いでした。仰有るとおり、昨今の邦画にはそういう多面的な心理描写を避けて表層的な展開に終始するものが目立ちますね(もちろん、例外もあるのですが)。観客側の微妙な人情の機微を感じ取る能力が低下しているのかもしれません・・・・というか、明らかに作り手の人生経験不足が露呈している映画もあったりして、そのへんを何とかして欲しいと思ったりします。
それでは、今後ともヨロシクお願いします。
> 元・副会長さん
コメントありがとうございます.
おっしゃる通り,特別でない普通な生活の営みを,作り手は意識して取り戻してほしいと思いますね.
それなしに,海外とは渡り合えないでしょう. 今後ともよろしくお願いします!