岡本 喜八 監督
原題 「肉 弾」
英題 「Human Bullet」
1968.10.12 公開 ATG / 117min モノクロ / スタンダード
オレはこのままではダメになる… .
以前,フィレンツェの美術館で,ダビデの手前にある, 同じミケランジェロの削りっぱなしみたいな彫刻を見て,
絶句したことがありますが,この映画は似たような衝撃がありました.
剥き出しの映画ともいうべき,理屈を許さぬ絶対的な存在感を感じます.
やっぱり,オレはこのままではダメになってしまう… .
水島上等兵のようなこの言葉は,もう10年以上前に,NHKで岡本監督の特集をした折,この「 肉弾 」に至った気持ちを
監督自身が吐露したものです.
岡本監督は「 肉弾 」当時,その前の年に「 日本のいちばん長い日 」を撮り,東宝の看板監督の一人でした.
40代半ば,結婚もしていましたし,2人のお子さんもいました.
その監督が,看板を捨て,自主制作による16m/mで撮った作品が,この「 肉弾 」だったのです.
小生が初めて見た時は,もちろんそんな事情は知りませんでしたが,「 稲妻のような映画だった… 」と
友人に話したのを思い出します.
サイズがスタンダードなので,16と言われれば,そうだなと思いますが,
言われなければ35で撮ったのと印象は変わりません.
これは内田吐夢監督の「飢餓海峡 」と同じで,気迫と技術があれば,16で十分勝負できるという証明です.
「肉弾」 の撮影スナップなんかを見ると,スクーピック等も使っています. 岡本監督の場合は狙いではなく,
予算的な事情からでしたが,でも 「これを撮らなければ」 という強い意志が作品の完成を可能にしたのでしょう.
やはり,「念」が大事!
塚本晋也監督は 「鉄男」 を16で撮っていますが,
スクーピックのようなレンズを交換できないキャメラで,あと少しワイドにしたかった時に心の中で,
「ワイドー!」と念じながら撮ったらワイドに撮れてたと話しているのを聞いたことがあります.
レンタルビデオの店員をしていたタランティーノが我慢の限界に達し,「撮りてぇよー!」と発狂した時に,
ハーヴェイ・カイテルが手を差しのべて作られたのが 「レザボア・ドッグス」 でした.
これらに共通すること… ,それは自分自身と勝負したということでしょう.
映画を作るのにはお金がかかります. 人もいっぱい巻き込みます.
そして,見る人の人生をある時間拘束します.
つまり人生vs.人生,人格vs.人格 のぶつかり合いが映画だと.
だからつまらなければ酷評する… ,当たり前のことですね.
しかし,翻ってどうでしょう.
それはお互いが対等に渡り合っていることが必須のような気がします.
つまり,酷評する側は同じだけのリスクを自分の人生に負っているかということです.
かつてF1の世界に,アイルトン・セナという人がいましたが,その彼が走っている時に
「 神が見えた 」と発言したことがあります. それに関してメディアが様々な反応をした時に,
インタビューを求められた中嶋悟さんがこんなことを言っていました.
「君たちは時速300キロで走ったことがないでしょう?
私たちは恐怖を感じながら,その速度でアクセルを踏んでいます.
彼も同じだと思います. その彼が見えたというのなら見えたのでしょう.
それに関して,アクセルを踏まない人たちがとやかく言うことではないと思う」
昨今,メディアでよく報じられる〝勝ち組・負け組〟という言葉.
あの言葉ほど,ナンセンスで,それを使う人間の人格の稚拙と無知を晒す言葉はないでしょうね.
なぜなら外に向かって勝ち負けを決めても,それは数字や時代の流れの中で,如何様にも転びます.
今日正しかったことが,明日にも正しいとは限りません. その翻弄の中でも人は
生きていかなければならない… ,これは多くの岡本監督作品が語っていることですよ!
不確かなものを求めるのではなく,揺るがないものを自分の中に築くために「勝負」をする意味はあります.
貴様はリスクを負ってるか… ,と首もとに刃を当てられる映画.
それが小生の「 肉弾 」です.
・日本映画 名ラブシーンPARADISE
大変,この映画の骨格を捉えた方だと思いました!・池田信夫blog
中学生の時にご覧なったという言葉には重みがあります.
こんばんは。相互リンクしていただき、有難うございます。
紹介文は少しインパクトがあったほうがいいかと思ったのですが(^^;)、
ご要望のとおり、サブタイトルと同じに修正させていただきました。
いよいよ旧作ですか。岡本監督作品は「大誘拐」が一番印象に残っています。
旧作殆ど観てないんですけどね(汗;)
ゴーシュさんの記事については、私ではたぶんコメントできません
(レベルが違いすぎて)。
一読者として参考にさせていただきますね。
それではまた...