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	<title>salon de 15屋 &#187; 塚本晋也</title>
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	<description>末永くどうぞ，ごひいきに …</description>
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		<title>15夜通信 / 人生は素晴らしい</title>
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		<pubDate>Thu, 05 Oct 2006 09:33:04 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[cinema]]></category>
		<category><![CDATA[エミール・クストリッツァ]]></category>
		<category><![CDATA[ジブリ]]></category>
		<category><![CDATA[ニキータ・ミハルコフ]]></category>
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		<category><![CDATA[黒澤明]]></category>

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		<description><![CDATA[エミール・クストリッツァ監督 原題 「CRNA MACKA, BELI MACOR」 邦題 「 黒猫・白猫 」 1999.8 日本公開 ユーゴスラビア(仏/独) / 130min カラー / Aビスタ ニャニがニャンでも愛で突っ走るのよ … ，この完全無欠な本作のコピー． 「ストリート・オブ・ファイヤー」を見ながら踊るヒロインと「カサブランカ」を見ながら悦に入るキャラの存在にして， すでにこの作品が小生の殿堂入りを約束されたことを意味しています． しかも，本作にはお金のかかった特殊効果の類は一切無く，ましてやデジタル等の議論も全くナンセンス． カットとO.Lで静かに繋がれたこのフィルムは，近年稀に見るエキセントリックな映画になりました！ まさに珠玉です． エミール・クストリッツァという映画監督がどういう人なのか．それはその華々しい受賞歴よりも，作品を見てもらう方が 伝わると思います． 賞を獲ったことが凄いのではなく，凄い作品がまず有って，それにおまけが付いただけにすぎません． 小生は映画を，大衆娯楽や通俗文化の一員と考えて接していますから，よくある業界の芸術家気取りと特権的意識を ヘドが出るほど敵視しており，いささか前述の「凄い」という表現に抵抗があります … が，でもねぇ … ． 凄いものは凄いからしょうがないよね． 小生としては，現存するヨーロッパ方面の映画監督で，ロシアのニキータ・ミハルコフとこの旧ユーゴのクストリッツァの二人 の作品に関してのみ，スルーパスで芸術と認識しております． では彼の作品群のどこが凄いのか． どの辺が他の映画と違うのか． ズバリ … これが言葉にしにくい． それ自体は小生の語彙力と表現力の拙さに起因するところですが，１度でも彼の映画を見た人なら，同情して 情状酌量の余地ありと見てくれるのではないでしょうか… ． それを踏まえて，その差異を一言で言うならば， 「映画の生命力」というところでしょう． 映画館が火事になっても彼のフィルムは燃えない気がします… ． クストリッツァの映画には，例えば歩くとその人の形に空気に穴が開くというか，腕を振るとそれで風が起こるというか， 絶対的な存在感があります． しかも対象に寄り添うというより，ねじ伏せるような迫力があり，かといって力でがんじがらめ にならず，むしろフレームの中の生き物 (人間だけではないので… ) がイキイキとしているのです！ 昔，塚本監督が 「東京フィスト」 を撮った時に，体感の喪失と復権というようなことを語っておられましたが，その体現という 意味においてもクストリッツァの作品は白眉ですよね． かなり昔，寺山修二さんの舞台美術を横尾忠則さんがやった時に，初日前の搬入で，入口の寸法が正しく伝わっておらず， 大きくて入らなかったことがあったそうです． そこで劇場側の人間が一時的に切ってしまおうとしたところ，「僕の作品にさわるな！」と叫んで持って帰ってしまったとのこと． でも翌日きっちり寸法の合った同じデザインのものを仕上たらしいです… ． 宮崎駿監督が「紅の豚」という作品を撮った時に，製作発表で流した鈴木Pの作った予告を見て，「僕はこんな好戦的な映画は 作っていない！」と満場の中で憮然としたという有名な話があります． しかも会社に帰ってから，スタッフにその予告を見せて 反応を聞くと皆「いい」と言うので宮崎監督は再激昂！ 「監督を降りる． 僕はこんなものを作っているつもりはない． でも皆が それをいいというなら鈴木さんが作るべきだ」という監督を鈴木Pが謝って治めたらしい … ． 安易にこういう表現は使いたくありませんが，おそらくエミール・クストリッツァは天才です． クストリッツァは，この前作 「アンダーグラウンド」で，本人の制作意図とは違う飛躍した論争に巻き込まれ， ほとほと嫌気の差した彼はその直後に引退を表明しました． そもそも映画の神様が彼を手放すはずがなく， この引退未遂も「無駄なことを」というところですが，その瞬間のクストリッツァは紛れも無い本気だったことでしょう． その彼が，「初めて映画を作る気持ちで作りました． 映画に戻れたことが嬉しくて，人生のありとあらゆるものに自分の 熱狂と愛情を表したい… 」と作った，生きることの喜びがフレームの端々からビシバシほとばしる映画こそ，この「黒猫・白猫」です． 彼を根気よく説得し，引退を撤回させた敏腕プロデューサーには本当に感謝ですよ！ それと，この作品が&#8217;98年ヴェネチアで銀獅子を獲った時にクストリッツァ44才． 黒澤明がこの同じ年齢の時に何を撮っていたか … ，そうあの 「七人の侍」 なんですね． かつて，ジュゼッペ・トルナトーレが 「ニュー・シネマ・パラダイス」 で映画へのオマージュを示しましたが， 小生にはあの映画は美しすぎました． 学生の時にひと月ほどイタリアを旅したことがありますが，小生が見たシチリアや イタリアの各都市とは違って見えたものです． もちろん映画として好きではあるのですが，イタリアという意味では， むしろその何年か後に見た 「小さな旅人」 の方が見てきた印象と空気を感じたと記憶しています． その意味で，この 「黒猫・白猫」 も真のセルビアよりも美しすぎるかもしれませんね． でもそこに生きる人々の余りの バイタリティに，見るものがひれ伏すという点でトルナトーレと違いますし，作品の趣味もまったく正反対ですな． しかし共通するのは，映画っていいなと思えるところでしょうか． いずれにせよ，こんなのが隣人だったら絶対にヤダという連中ばかり出てきますが，テクノロジーよりも人間の方が [&#8230;]]]></description>
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		<title>15夜通信 / あいつ</title>
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		<pubDate>Sat, 29 Jul 2006 08:27:06 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[cinema]]></category>
		<category><![CDATA[内田吐夢]]></category>
		<category><![CDATA[塚本晋也]]></category>
		<category><![CDATA[岡本喜八]]></category>

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		<description><![CDATA[岡本 喜八 監督 原題 「肉 弾」 英題 「Human Bullet」 1968.10.12 公開 ATG / 117min モノクロ / スタンダード オレはこのままではダメになる… ． 以前，フィレンツェの美術館で，ダビデの手前にある, 同じミケランジェロの削りっぱなしみたいな彫刻を見て， 絶句したことがありますが，この映画は似たような衝撃がありました． 剥き出しの映画ともいうべき，理屈を許さぬ絶対的な存在感を感じます． やっぱり，オレはこのままではダメになってしまう… ． 水島上等兵のようなこの言葉は，もう10年以上前に，NHKで岡本監督の特集をした折，この「 肉弾 」に至った気持ちを 監督自身が吐露したものです． 岡本監督は「 肉弾 」当時，その前の年に「 日本のいちばん長い日 」を撮り，東宝の看板監督の一人でした． 40代半ば，結婚もしていましたし，2人のお子さんもいました． その監督が，看板を捨て，自主制作による16m/mで撮った作品が，この「 肉弾 」だったのです． 小生が初めて見た時は，もちろんそんな事情は知りませんでしたが，「 稲妻のような映画だった… 」と 友人に話したのを思い出します． サイズがスタンダードなので，16と言われれば，そうだなと思いますが， 言われなければ35で撮ったのと印象は変わりません． これは内田吐夢監督の「飢餓海峡 」と同じで，気迫と技術があれば，16で十分勝負できるという証明です． 「肉弾」 の撮影スナップなんかを見ると，スクーピック等も使っています． 岡本監督の場合は狙いではなく， 予算的な事情からでしたが，でも 「これを撮らなければ」 という強い意志が作品の完成を可能にしたのでしょう． やはり，「念」が大事！ 塚本晋也監督は 「鉄男」 を16で撮っていますが， スクーピックのようなレンズを交換できないキャメラで，あと少しワイドにしたかった時に心の中で， 「ワイドー！」と念じながら撮ったらワイドに撮れてたと話しているのを聞いたことがあります． レンタルビデオの店員をしていたタランティーノが我慢の限界に達し，「撮りてぇよー！」と発狂した時に， ハーヴェイ・カイテルが手を差しのべて作られたのが 「レザボア・ドッグス」 でした． これらに共通すること… ，それは自分自身と勝負したということでしょう． 映画を作るのにはお金がかかります． 人もいっぱい巻き込みます． そして，見る人の人生をある時間拘束します． つまり人生vs.人生，人格vs.人格 のぶつかり合いが映画だと． だからつまらなければ酷評する… ，当たり前のことですね． しかし，翻ってどうでしょう． それはお互いが対等に渡り合っていることが必須のような気がします． つまり，酷評する側は同じだけのリスクを自分の人生に負っているかということです． かつてF1の世界に，アイルトン・セナという人がいましたが，その彼が走っている時に 「 神が見えた 」と発言したことがあります． それに関してメディアが様々な反応をした時に， インタビューを求められた中嶋悟さんがこんなことを言っていました． 「君たちは時速300キロで走ったことがないでしょう？ 私たちは恐怖を感じながら，その速度でアクセルを踏んでいます． 彼も同じだと思います． その彼が見えたというのなら見えたのでしょう． それに関して，アクセルを踏まない人たちがとやかく言うことではないと思う」 昨今，メディアでよく報じられる〝勝ち組・負け組〟という言葉． あの言葉ほど，ナンセンスで，それを使う人間の人格の稚拙と無知を晒す言葉はないでしょうね． なぜなら外に向かって勝ち負けを決めても，それは数字や時代の流れの中で，如何様にも転びます． 今日正しかったことが，明日にも正しいとは限りません． その翻弄の中でも人は 生きていかなければならない… ，これは多くの岡本監督作品が語っていることですよ！ 不確かなものを求めるのではなく，揺るがないものを自分の中に築くために「勝負」をする意味はあります． 貴様はリスクを負ってるか… ，と首もとに刃を当てられる映画． それが小生の「 肉弾 」です． ・日本映画　名ラブシーンPARADISE 大変，この映画の骨格を捉えた方だと思いました！ ・池田信夫blog 中学生の時にご覧なったという言葉には重みがあります．]]></description>
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		<title>15夜通信 / 大いなる力</title>
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		<pubDate>Mon, 24 Jul 2006 23:29:38 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[cinema]]></category>
		<category><![CDATA[サム・ライミ]]></category>
		<category><![CDATA[塚本晋也]]></category>
		<category><![CDATA[増村保造]]></category>
		<category><![CDATA[川島雄三]]></category>

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		<description><![CDATA[サム・ライミ監督新作 原題「SPIDER-MAN 3」 邦題「スパイダーマン３」 2007 日本公開予定 / 総尺未定 あの赤いのがいい… ，と小生の３歳ほどの娘は劇場で指差しました． これを喜ぶべきか，悲しむべきか… ． まぁいずれにせよ，この３作目もおそらく小生一家で見に行くであろうと思われます… ． 続編が前作を超えるという稀有な例を示し，改めてアメリカ映画の気迫を見せつけられた気がします． 2番煎じのような作品が横行している現在のアメリカで，誰もが知るこのコミックキャラクターを主人公に映画を作るなんて， 当初は余りに安易だと思いましたが，本作で3作目という次第も今では得心しております！ 糸を自由に操って，ビルからビルに移っていく視覚効果の爽快さ！ 狩猟民族特有の動体視力を駆使した演出に嫉妬しながらも，もしかしたら狩猟の民の末裔かという錯覚を持つ小生としては， 思わず興奮してしまいます．( 「表現のヒエラルキー」参照 ) しかも2作目のその糸使いなる表現も，小技が効いているというか，それもマニアックにならないギリギリのところで遊べていて， 冷静で大人の采配を感じますね． 川島雄三監督「幕末太陽傳」の中で，主役のフランキー堺さんが芸妓さんの拍子を打つシーンがありますが， 本来ドラムの名手である氏が魅せたのはバチを頭上でくるりと1度回すことだけで，あとはお調子ものが太鼓を打つという 芝居に終始しています． しかし，この何気ない頭上くるり1度きりが何ともいえません． 一輪挿しの魅力というところでしょうか． 決して出し惜しみではなく，得意なものほど抑制を効かすことの大切さとそれが品格であるという認識が， サム・ライミ監督にはあるのだと思いますよ． サム・ライミ監督の佇まいは，日本で言えば，さしずめ増村保造監督かなと勝手に思ってます． 一言でいえば，「職業監督」． 細かい作品の積み重ねで培った撮影技術を丁寧に引き出しに整理し，それを状況に応じて取り出せる人なのかなと． ですから，芝居の演出や技術の指示は，かなり具体的な人ではないかと思います． それとアメリカのアクション映画に珍しい一種のカタルシスや余韻というものが2作目にはあります． ヒーローの苦悩を前面に出した作りやターニングポイントになるシーンのBGMに「雨に濡れても」を使うところ， また主人公がお世話になったおばさんにおじさんの死の過程を告白するシーンが同録っぽいところなどに その辺りの意識的な演出が伺えます． このあたりが無理なく，作品に艶を与えているところに確かな力量を感じますし，また改めて大人だなぁと思います． 日本ではこの手の映画を作ると，芝居やそこに流れる感情の流れまでがチープになってしまい， それが特撮部分のパワーとも重り，何とも言えぬ物足りなさを感じます．集中力の矛先が違うのかな． 樋口真嗣監督や塚本晋也監督など丁寧なパワーのある作品を捻出する方もいますが，総じて日本の映画関係者には この手のジャンルを馬鹿にしている傾向があり，所詮「子どもだまし」と考えている人が少なくありません． また，世代的にそれをよしとする映画関係者たちも自己満足の域を出ず，それを広く一般化できる監督やプロデューサーが 少ないのでしょう． アニメーションの世界にはそうした人たちがいるのに… ． 稚拙な大人とそれを見抜く子どもたち… ，この構造を大人が理解しないかぎり，実写の世界に今の状態は続くでしょうね． みんな気づいてくれー！ ですから，今の邦画には本当に機微のある大人のラブストーリーがありません．いや描けないのだと思います． 学生恋愛の延長線上のものばかりですよ． このことと特撮映画のチープさは無縁ではない… ． 何故なら，円谷英二監督の作品は，この大人の部分の描き方がきちんと二枚腰，三枚腰になっていますもの． もちろん得手不得手はありますが，技術的な訴求ではなく，作る側の人間力の底上げがなければ， 「スパイダーマン」には永遠に追いつけないでしょう． あらゆるものを高みから見ずに，丁寧に相対せば，活路はあります． 「スパイダーマン」のヒットはその希望なのではないでしょうか． そして，子どもたちが見て，もっと明日の自分へ希望が持てる作品の登場を希望したいものですね． ・PlanetComics.jp この記事は古いものですが，本作の様々な新情報もありますよ！ ・ニューヨークデイズブログ なんと撮影現場を見たそうです… ，ウラヤマシイ．]]></description>
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